コンテンツへスキップ

個展「森の波打ち際」について

個展「森の波打ち際」について作家インタビュー

聞き手・写真撮影/佐竹龍蔵


―まずは今回の個展「森の波打ち際」について教えてください。

奈良公園を散歩している時に池を見つけて、池の周りの石垣に木の枝やどんぐりの帽子が打ち上げられたように落ちていて、それを見たときに「あ、森の波打ち際だな」と思ったことがあって、その事は忘れていたんですけど、今回の個展タイトルを決めるときに思い出して、このタイトルにしました。今回展示している作品の中で《抜け殻たちの集う場所》という絵があるんですけど、その時見た様子を絵にしたものです。
「森の波打ち際」という言葉の意味は、たまたま見た光景から思った言葉なので、その時はどういう意味かは考えて無かったんですけど、波打ち際というのは生きるとか死ぬとかそういうことの狭間にある場所だと思っています。
下を見て歩いているからなんですけど、落ち葉とか木の実のように地面に落ちているものと目が合うという感覚があって、植物が落ちてしまっても死んでいるとは思わないというところがあります。
生と死の狭間の波打ち際のような場所を、今回の個展全体で描きたかったというのもあって、生きているものと死んでいるものをはっきりどっちって決めているわけではないんですけど、生と死がテーマとしてあるのかなって思っています。

―実際の波打ち際だと境界線は動くけれど、岸辺と海というようにはっきり分かれていると思うのですが、どちら側が生でどちら側が死というイメージはありますか?

どっちがどっちというよりも、一方から見たら向こうが死んでいて、向こうから見たらこっちが死んでいるみたいに、場所によって変わります。生きているものも死んでいるし、死んでいるものも生きていると思っていて、その境界に自分が立ってそこからどっちも見ているイメージです。

―今回作品として描いたものも、これが生きているもの、これが死んでいるもの、と分けているというよりも、その波打ち際から見えたものを描いているということですか?

そうです。だから自分でもどれが生きていてどれが死んでいるか、わかっていない。

―はっきり生と死を分けているわけではないということですね。

そうです。

―今回の個展会場を見ると、今言ったような生と死が曖昧な枝や葉っぱ、木の実などの植物の他にも、鹿や蟹、猫のように生き物など、いろんなものを描いています。展示の構成としては、それらをモチーフごとに分けたり、規則性のある配置で展示しているわけではなく、ランダムで動きのある作品配置にしています。今回の個展のテーマで展示構成を考えていくときに、どういうイメージで会場づくりをしていったのか聞かせてください。

生きているものと死んでいるものをはっきりと分けられないという考えと、描いたもの全体を平等に見ているという視点もあって、全体的にランダムに並べています。
私自身が散歩しながら描く対象を見つけているというのもあって、展示構成にもリズムみたいなものを持たせたいというところがありました。

《抜け殻たちの集う場所》2022

落ちていた木の実(撮影/きむらと)

作品のモチーフについて

―今回、作品のモチーフはいろんなものを描いていますが、鹿と、葉っぱや木の実などの植物が多い印象です。散歩をしながら見つけたものを描いているということですが、奈良に引っ越した影響もあるのかなと感じたのですが、いかがでしょうか?

以前は京都の岩倉に住んでいて、岩倉の方が近所で鹿を見る機会が多かったです。奈良だと近くても奈良公園に行かないと鹿に会えないので。奈良公園の鹿は人が近寄っても慣れているので、そういう意味では以前よりも優しい雰囲気の鹿が描けたかなと思います。
これまで植物をそんなにたくさん描いてきたわけではなくて、動物を描くことの方がどちらかというと多かったです。前に高知県の牧野植物園に行ったときに、園内を歩いていて今回の個展では植物を描こうとふと思って。でも今回牧野植物園のものは何も描いていない(笑)、たくさん写真撮ったんですけど。
結局は自分の身近にあるものの方が、なぜか絵になっていく。なんでだろう。やっぱり散歩道というか自分の身近なものの方が合っていて、今回は植物を見る割合が前より増えたのかなと。
少し話がずれるんですが、いつも植物とかを描くときは、色和紙でモチーフ自体をつくってから支持体の紙に貼るような作品が多かったんですけど、今回はそれをやってみたら居心地が悪くてやめました。なぜかと言うと、物と地の関係みたいなのが多分やりたくて。今回はモチーフの後ろに背景がある絵や、地面が描かれている絵が多くなったのは、その場所にそれがあるということが重要だったのかなと思います。

―確かに、今回の作品でいうと《青いどんぐり》や《小さく咲いている》など、地面を描いたものが多くなっています。物単体じゃなくてその場所に落ちている感じを含めて描きたくなってきたということですね。

《青いどんぐり》2022

《小さく咲いてる》2022

作品のつくり方について

―作品のつくり方の話が出たので、このまま作品づくりの技術的な部分について聞いていきます。今回の作品は支持体の紙に、色をつけた和紙を貼っているというタイプの作品が多いのですが、どんな経緯で今の作品のつくり方になったのか聞かせてください。

もともと大学で日本画を専攻していて、パネルに和紙を水張りして、水干絵具や岩絵具で描くという技法をずっとやっていたのですが、筆で直接画面に描いていくことが自分に合っていないと思いました。そのあと、絵の中の線を筆で直接描かずに、クリアファイルに線の形で切り込みを入れて、ステンシルのようにスポンジで岩絵具を押して線を描き出すという技法に至りました。ただ、色を塗るのも同じ技法でやってしまうと野暮ったくなってしまうところがあって、薄い和紙に顔料と膠で色をつけて、その色和紙を画面に貼るという方法で色をつけるようになりました(※1)。
その色和紙が自分の中でどんどん重要になって、いろんな作品に使うようになりました。色をつけるためだけだったものが、自分の中では、アクリル絵具や水彩絵具のような絵具の種類の一つで「和紙絵具」という感じになっていきました。

(※1)今回の個展では出品していませんが、パネルに貼った綿布を支持体にして、岩絵具で地塗りをして、クリアファイルに線の形に切り込みを入れてステンシルのようにスポンジで岩絵具を押して線を描き出し、色和紙を貼って彩色してつくる作品があります。

今回は植物を描こうと決めたときに、先ほど言った技法(※1)も含めて、いろんな技法で作品をつくろうと思っていました。今回も1枚、岩絵具を使った作品もやってみたんですけど、途中から本当にやりたくなくて手が進まなくて。なぜやりたくないのか考えたときに、岩絵具の方法(※1)は私にとっては背景を描くものではなく、モチーフ自体の線とか形を絵にしていくものだったんですけど、自分が今回やりたかったのはモチーフと背景の関係だったので、多分そこに合ってなかった。ということに個展の1ヶ月半前の1月に気がついて、もう今回は岩絵具はやめようってなって、そこから和紙を貼る作品と鉛筆で描く作品に絞ろうということになりました。

―具体的に一つの作品を例にして、技法を聞いていこうと思います。今回展示している《枝の集会》という作品について教えてください。

《枝の集会》2022

この絵で言うと最初に支持体の紙に鉛筆で枝の形を書いて、下描きした枝の形に沿って色和紙を貼っていって、線からはみ出た色和紙を隠すように背景の色和紙を貼っています。最初に背景をつくるのではなく、あとから背景を貼っています。

―絵具で描く場合でいうと、先に背景を塗っておいてその上からモチーフを描くのがスタンダードな手順だと思うのですが、その逆で手前にあるモチーフを先に描いてしまって形を修正しながら背景を塗っているというような手順ですね。《枝の集会》以外の作品はどうですか?

他の作品でもモチーフを先に貼っていて、背景があとですね。モチーフと背景の境界を馴染ませたいという狙いもありますね。背景が先でモチーフをあとから貼ると浮いているように見えてしまうので。あと、下描きの形に合わせて色和紙をきっちり切っていくのが面倒ということもあったり、あまり丁寧にやりすぎたくはない、少し雑にしたいみたいな思いもあります。私が頑張れるギリギリというか、これ以上神経質にやりたくないというのもあって、ある程度の荒さを出しつつというのを考えてやっています。《黄色いきのこ》とかはよく見ると、背景にきのこの黄色がうっすら見えたりします。

―和紙が薄いので先に貼った和紙の色が上から透けて見えていますね。きのこの形を切ってあとから貼るとこういう輪郭がぼやけたような効果は出ないということですね。そういう効果は狙って出しているという事ですか?

副産物みたいな感じですね。

―モチーフと背景の境界の曖昧さが今回の展覧会のテーマにも合っているというか、生と死を決め切らないないように絵の中でも波打ち際のせめぎ合いみたいなものが見えてくるように感じました。

《黄色いきのこ》2021

顔料と膠で染めた和紙(撮影/きむらと)

後ろが透けて見えるほどの薄い和紙を使用している(撮影/きむらと)

制作途中の様子

鉛筆で描いている作品について

―これまで聞いてきたのは色和紙を貼ってつくっている作品についてでしたが、今回はそれ以外にも鉛筆で描いている作品もありますね。《降ったり積もったり》や《猫の前を通りすぎて》のように鉛筆で動物の姿を描いて淡彩画のように少しだけ色和紙を貼っているという作品があるんですけど、色和紙だけでつくっている作品との違いを教えてください。

もともと、岩絵具の作品(※1)でも、線にこだわって描きたいと思っていたところがあります。鉛筆だとスピード感を持って線を描いて形にすることができるので鉛筆を使っています。動物を描くときに鉛筆で線を描いて周りに色和紙を貼るという作品になることが多いのは、動物の絵の場合は色よりも線と形が自分にとって大事だからなのかなって思います。

―動いているものだから、スピード感を持って、手の動きが線に反映されるような方法を選んでいるということですか?

それは確かにあります。本当は紙と鉛筆さえあればなんでも描けるようになりたいという願望があって。

―絵描きとしての理想みたいな。

そうです。紙と鉛筆さえあればいい、と言えるようになりたい。絵が上手くなりたい。鉛筆で描くのは結構好きなのでこれから描くものもどんどん増やしたいし、色和紙を貼る絵をずっとやってるとたまに動物を鉛筆で描くのがいい息抜きになったりとか。制作にぐっとのめり込んで力を入れる部分とサラッと描く部分みたいなものは、作品制作でも心がけているし、展覧会の構成としても力の入れ所と抜き所のようなものは毎回意識しています。100パーセント全部魂込めてやった方がいいのかなという気もしますけど、でも、自分はそれだけではできないし、というせめぎ合いです。

《降ったり積もったり》2022

《猫の前を通りすぎて》2022

これからやりたいこと

―それでは最後にこれからのことを聞かせてください。

モチーフ単体を色和紙でつくって支持体の紙に貼るというのがこれまでのやり方で、今回はモチーフと背景を合わせてつくりました。これからの目標は風景を描けるようになりたいと思っています。この物たちのある場所をもっと描きたいという気持ちがあります。

―風景というのは、どこかの山とか川みたいに具体的な場所を描きたいというよりも、絵に切り取っている範囲を広げて物単体から風景にしていくという感じですか?

絵にする部分を広げていくようなイメージに近いと思います。なんでも描けるようになりたいという野望があるので、その一つとして風景も描けるようになりたい。散歩していても風景の中を歩いているという感覚があるのですが、いいなと思った瞬間があっても、今の自分の技術と経験では描くのが難しいなということもあって、それを形にしたい。散歩に限らず旅行先とかでもいいですけど、とにかく自分は風景の中を歩いているし見ているので、見ていいなと思ったものを全部絵にしたいという願望があります。

―それが今はまだ小さい範囲のものというだけで。

そう。今はまだ技術的にとかいろいろ未熟なのでまだできない。けど、すぐにやりたいと思っている。できるかはわからないけど。

個展情報はこちら